『バーンスタイン&ウィーン・フィル ベートーヴェン全交響曲シネコンサート』

レナード・バーンスタイン
レナード・バーンスタイン(1918-1990)は、マサチューセッツ州ローレンス生まれのアメリカを代表する指揮者、作曲家、ピアニストで、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)と並び20 世紀後半のクラシック音楽界を牽引したスター音楽家である。その情熱に満ち溢れた指揮ぶりと、親しみやすい人柄で「レニー」の愛称でファンに愛された。
ハーバード大学を経てカーティス音楽院で学び、フリッツ・ライナー、セルゲイ・クーセヴィツキーに指揮を、イサベラ・ヴェンゲーロワにピアノを、ウォルター・ピストンらに作曲を師事した。1943 年、ニューヨーク・フィルのアシスタント指揮者となり、1944 年に急病で倒れたワルターの代役を務め大成功を収めた。その後、1945~48 年ニューヨーク・シティ交響楽団音楽監督、1947~90 年イスラエル・フィル名誉指揮者、1957~69 年ニューヨーク・フィル首席指揮者を歴任。指揮者としての名声を高める一方、作曲家としても、1944 年の交響曲第1 番「エレミア」を初め、1956 年「キャンディード」、1957 年「ウェスト・サイド・ストーリー」とミュージカルの分野でも大成功を収めた。同時期、有名なテレビ番組『ヤング・ピープルズ・コンサート』の活動を始め、音楽教育、後進の指導にも大きな情熱をそそぎ、ニューヨーク・フィルのアシスタント指揮者からは、小澤征爾、クラウディオ・アバド、ズデニェク・コシュラーら多くの世界的な指揮者が育った。佐渡裕は最後の愛弟子としても知られる。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は世界で最も歴史のあるオーケストラの一つで、1842 年にケルントナートーア劇場(ウィーン宮廷歌劇場、後のウィーン国立歌劇場)の楽長で作曲家であった、オットー・ニコライによって創設された。1870年にウィーン楽友協会大ホール(ムジークフェライン・ザール)が完成して以来、同ホールを本拠地としている。1875 年に首席指揮者となったハンス・リヒターの時代に、家族的な雰囲気の中で大きな発展を遂げ、作曲家としても有名なグスタフ・マーラーが首席指揮者を務めていた1900 年には、パリ万国博覧会で初の海外公演も行った。1933 年以降は首席指揮者を置いていない事でも有名だが、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、カール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタイン、クラウディオ・アバド等々、数多の偉大な指揮者たちとの栄光に包まれた活動は、多くの伝説的なコンサートやレコーディングに彩られている。
伝統を重んじ、他の音楽団体からの楽器は使用していないことは有名で、とりわけ金管楽器と打楽器においては、ウィーン・フィル独自の古いスタイルのものが使われている。また、ウィーン楽友協会大ホールにおいて1939 年から始めたニューイヤー・コンサートは、現在、世界40 カ国以上に生中継され、世界で最も有名なクラシックのコンサートとなっている。


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